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3.11から10年。今、何ができるか。

アマチュアスポーツ応援

2011年3月11日…現代の日本において忘れられない日。多くの方が亡くなり、いまだ行方不明の方々もおられ、避難所での生活が続く方もおられることを考えると胸が締め付けられる思いです。

昨年から続く新型コロナウイルスの影響もあってか、少し記憶から遠ざかっているようにも思えるため、その日の自分を振り返ってみることにしました。

この日の私は、

午前中…埼玉スタジアムにて3on3のイベント開催に向けた打合せ(※後に、埼スタでスクール等に関わるとは微塵も思っておりませんでした…。)

正午頃…東京都渋谷区神宮前にある事務所へ戻り事務作業 14時46分(地震発生)

15時に事務所を出て波崎への出張に向けて準備中

この数日前から大きな地震が発生していた為、正直なところ「またか」と最初に思った記憶があります。 ただ、直ぐにいつもとは違う下から突き上げられるような揺れを感じ、生れて始めて机の下へ潜る行動をしました。 ものすごく長く揺れていたと記憶しております。

その後、揺れが収まり何気なく見た目の前の外苑西通りには、見たこともないほどのあふれ出た人だかりが見れました。 テレビから聞こえてくるニュースによって、ただ事では無いことを知り、突然大津波の映像が飛び込んできたようにも記憶しております。 その映像に、まさにくぎ付けとなりました。

そうこうしていると、波崎の現場にいるスタッフから 「グラウンドに大きな地割れが発生した」 「防球ネットの電柱が大きく揺れている」 「30分後に大津波がやってくると町内放送で流れてきた」 等々が届き、「ひとまず高いところへ参加者も含めて逃げろ」と指示を出し、後は祈るばかり…。

幸いにも、波崎には大きな津波は押し寄せて来なかった(一部地域には届きました)のですが、直後から停電・断水となり、道路状況も不明。 当然ですが、私が翌日から担当する大会も中止となった為、波崎出張は取りやめて各地の状況を把握すること、今後の大会参加者へ連絡をすることを目的として一晩事務所にて過ごしました。

書ききれないほどの当時の行動や感情がよみがえってきます。 よみがえってくることで、

・防災の備えはできてるか?

・避難場所はどこだ?

・まずは、何をすべきか?

等々、いろいろな準備の必要性もよみがえってきます。 いろいろとやれることはあるかと思いますが、振り返り備えることも、必要な「やれる」ことだと思っております。

冒頭に「現代の日本においては、」と記載しましたが、日本には、この3.11の地震以外でも大きな災害、また大きな戦争も発生しております。 しかしながら時が過ぎていけば記憶から薄らいでいきます。 戦争においては、人の力で防ぐことが可能と考えておりますが、自然災害の発生は人の力ではどうすることもできません。 どうすることも出来ない事はどうすることもできないと考えておりますが、「起きた後」にできることを備えることはできることと考えております。

このようなことを思い出し、行動に移していくことが大切だと考えております。 東日本大震災で亡くなった方のご冥福と行方不明者の一日でも早い発見、避難所生活の方々が一日でも早く通常生活へ戻られることを心より願っております。